【近況】
■■演劇関係■■
【出演】5月12日(金)〜17日(水)MCR 本公演『不謹慎な家/佐藤さんは殴れない』@OFF・OFFシアター(下北沢)に出演します。詳細はこちら。ご予約はこちら。[2017/04/14]

■■映像関係■■
【出演】短編(2分)の映画『End Of Asia 〜アジアの端の不思議な帽子屋〜』が、SONYの「PROFESSIONAL MOVIE AWARD」にて審査員賞を受賞しました。こちらからご覧いただけます。[2017/01/17]
【出演】出演DVD『love and hate』の発売を記念して、挿入歌「どしゃぶり」のMVが公開となりました。詳細はこちら。[2015/03/12]
【出演】出演作「連続webドラマ[CHATGIRL 2nd]Saori〜優しい女〜」も含めシリーズ全話が収録されたオリジナルDVD『love and hate』が数量限定販売中です。詳細はこちら。[2015/03/12]

■■音楽関係■■
笹口騒音オーケストラ参加の新アルバム「笹口8才記念盤 スピリットアルバム『あなたの悲しみは売れるだろう』」発売中。通販はこちら。[2017/03/08]
笹口騒音オーケストラの1stライブDVD『TOMORROWISLAND IN THE MOON』発売中。詳細はこちら。通販はこちら。[2016/07/13]
笹口騒音オーケストラの公式Twitterができました。[2016/02/12]


2014年05月03日

ちょい、と上向きになるために

うつ病のこと。
すごい。書いてみるものですね。
読んだいろんな方がいろんなお話を聞かせてくださって、ありがたいです。
私ひとりでは決して知り得ないような、あちこちのお話。

ほんと、ね。
ウイルスが入ったから病気になった、それを追い出せば完治。…というような単純なものではない。一応「病」とついているけれど、その原因は、自分の細かく気付いてしまって放っておけない神経質さとか、気にし過ぎな性格とか、おじょいちゃんが言ってたみたいに「カルマ」なのかもしれないし、ひとえに「これが原因」ってシンプルなものではない。

「自分のこういう性格が厄介なんだよなあ」って思っても、癖とか性格はかんたんには変えられない。私の場合は自分の厄介な性質を、自分自身でまるきり否定しているわけではなかったけれども、それでも、「まあ、うまく付き合っていこ!」って諦めるというか、割り切る、のには時間がかかった。
なんとなく昔の自分と今の自分を比べてしまって、出来なくなってしまっていることや、「昔はもっとこうだったのに」ってことに悔しくなったり悲しくなったりしてた。
けれどでもある日、シャワーを頭から浴びながら、ふっ、と、
「あれ?でも、そうやって自分で今の自分を卑下してどんどんおとしめていっても、自分が損するだけじゃないか?一番自分で好き勝手出来るはずの“自分”って存在が、なんで自分をダメにするようなことを、真っ先に“自分”に押しつけてるんだろう?昔の自分と今の自分を比べて自分同士を天秤にかけて哀しくなって、独り相撲しちゃってる私。なーんだ、ばかみたい。笑」
って、笑えたのだ。
昔の私に出来て、今の私が出来なくなったことはいっぱいある。
これから先も、きっとどんどん増えるだろう。
でも、昔の私が知らなかったことを今の私が知ってることもいっぱいある。
どっちが上かなんて決められることじゃない。し、今の私は、今の私のことを、そんなにほんとに、どうしようもないほど大嫌いなわけじゃない。
というか、私は私のことにどうやって確かな自信を持ったらいいのかわかんないけど、私のことを好きだよって言ってくれる、私が大好きなともだちたちのことを信頼してるから、みんなが好きだっていうその人(私)も、きっと、それなりに、素敵なところがあるはずだ。
…なんていう、これはまあ何度も書いてきていることだけれど、持って回ったような考え方でして、私は私に自信を持っている。まわりくどい思考だなあと自分で思うけど、今のところその思考が、私には一番しっくりきている。
こじらせてんなあ、と自分で思うけど。
でも、こじらせてんのが、私だ。めんどくさいけど。

どうしようもなく鬱屈として、もうこの先の一秒を過ごさなければいけないことも辛くて、希死念慮に苛まれて命を諦めるような選択をするよりは、薬を飲んででも生き延びたほうがいい。

…という思いで、前回のエントリを書いた。
でも、「どうにか生き延びてる」状態で、人間は、「生き続ける」ことは、たぶん、出来ない。
脳と心に生命がある限り、人間はそこに、何かしら価値を持ちたいと思ってしまうのだと思う。
あ、でも、出家した人とかは違うのかな。
煩悩を捨てた人がどういう状態なのか、それはちょっと私にはわからないのだけれど。
まあでも多くの人は、自分が生きている意味とか、価値とか、を、考えてしまうものだろう。

薬でどうにかなってなんとか「生き延びてる」って状態は、私には、「惰性で生きちゃってんな私」って感じだった。
死ぬこと「すら」出来ない自分。って。
でもどうにかなるもんならどうにかしたかった。
その為には、自分が価値を感じられるなにかが必要だな、ということは分かっていた。
でも、なにをどうやっても、どうにもできなかった。
民間療法と呼ばれる様々なことも試した。まだ試してない方法もたくさんあると思うけれど、人に勧められることは出来る限り試した。でもなにもハマらなくて、いやになってしまうこと多々。

「生き延びてる」を「生きてる」にするためには、こじらせてたり面倒だったりする自分をひとかかえにして包括的に、認めて、把握して、その上でいろんな要素の足並みをそろえて、よいしょ、ってちょいと上に持って上げれるやり方を、タイミングを、程度を、とらなきゃいけない。
なんて書くと、小難しいけれども。
かんたんなことだ。
ちょっとした、うそみたいな偶然で、ひょい、とひとつ歩みを進められたりする。

私の場合は、ニードルフェルトだった。
たまたまはじめたニードルフェルトに、まったく何も期待してなかったのに、思いのほか没頭して、そんなに演劇以外の物事に没頭するのは中学の頃までイラストを描いていたそれ以来なんじゃないかってくらい久々で、ひとりでぎゅうっと目の前のことに熱中してものをつくることが、充実していて、楽しくて楽しくてしかたなかった。
それまで何年間も、「何か没頭できるものがひとつでも出来ればいいのに」って思っていろんなことを試そうとしたけど、まるでだめだった。
頭、耳、体、手足、と小さなパーツをひとつひとつ作っていって組み上げると手のひらサイズの動物が出来上がって、自分の好みの表情が作れたりして、そうして可愛らしいものが出来上がるのが嬉しかった。出来上がったものを見てくれた人たちが、喜んでくれたのが嬉しかった。
なにものにもなれないかもしれない私だけど、こんな私でもまだ、誰かに喜んでもらえることが出来るかもしれない、と思うことが、ようやく出来た。
あり余る、外出がおっくうな時間を利用して、この時間のかかる単純作業に没頭しながら、手を動かしながら、いろんな考え事が出来た。自分のことや、当時一緒に生活していた旦那のことや、友人たちのことや、実家の家族のことや、演劇のことや、夕食のメニューや、買い物のタイミングや、家計のやりくりや。

薬を飲むことで、どん底でもなんとか生き延びることの手助けはしてもらえるかもしれない。でも平行直線の毎日が、ちょい、と上向きになるためには、なんかしら、必要だ。

それは、人によってさまざまなんだろう。
ボランティアだったり、ヨガだったり、ペットだったり。
あとで担当医にニードルフェルトをはじめた話をしたとき、「編み物なんかは、いい、って、昔からよく言いますね」と言われた。苦にならずいつでもやめられる単純作業で、その繰り返しがしかし最終的にはなにかしら形あるものとして完成、達成される。達成感を味わえる体験が、重要なのだと言う。
ニードルフェルトの作業はまさにそうで、まんまと、私は、いいものに出逢ったなあと思う。

ニードルフェルトのなにがいいって、
・原価が安い
・道具は基本的にひとつ(専用のニードル針、1本100円くらい)
・必要な動作は基本的にひとつ(とにかく刺す)
・他にやってる人がまだあまり居ない→劣等感とか追いつけないゴールを感じずマイペースに楽しめる
ってことだ。
どの点も私にとってはありがたかったし、楽しみながら続けられた理由。

こういうのが、なんか、ね、どこで見つかるかわかんないから。

そして少しずつ、薬に助けられている部分を、シフトしていけたら。いいなあ。

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写真は、友だちがくれた誕生日プレゼント。ぜんぜんよくわからない組み合わせのチョイスなのだが、それもその人らしくて笑えて、嬉しかったのです。
赤いホーロー製のコップは、ワイルドストロベリーの栽培キットで、こういうの一回もちゃんと最後実がなるまで育てれたことのない私は、すでになんだか申し訳ない気持ちになりつつそわそわしつつ、種うえをしてみました。

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芽が出るといいなあ。

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2014年04月29日

完治とは

“「うつ」で薬を飲んで正常に戻った人を、私は見たことがない。”

ということをある方が書いていらして、たまたまその文章を目にして、胸がぎゅうっとなった。
直接は存じ上げない方の言葉だけれど、
刺さる。
そうなのかな。
そうかもしれない。
けど。
悲しい。

その方の書いてらした文章には、
“「薬を飲んで治した」と言って意気揚々と職場に復帰してくる人が、目が泳いでいたり無意味なところで大きな声を出したりして、もはやかつてのその人ではなくなってしまった例を私は何件も知っている。”
ともあった。

その危惧は、必要なものだと思う。そしてそれを書かれた方の実体験として、それも確かな事実なのだと思う。
そりゃあ、飲まないで済むなら、飲まない方が絶対いい。
抗うつ剤とか抗不安剤とか睡眠薬とかはやっぱり、「劇薬」だから。
でも死んじゃうよりは、薬の力を借りてでも生きてみたほうがきっといい。

私は、常飲する薬が決まるまでに1年くらいかかった。
毎週薬を変えて、そのたびにあらゆる副作用を体験した。
副作用がおさまらないからまた薬を変えて、また別の副作用が出て、という地獄のような日々だった。
それでも、生きる気力が湧かず泣く気力もなくただ秒針の音を聞いて長い長い一日を惰性で過ごすよりはマシだった。

私の場合副作用はどんな具合だったかというと、改めて書くと笑っちゃうような話だが、たとえば、両脚がむずむずして、座っていても寝ていても歩いていてもストレッチしてもおさまらず、処置のしようがなくて結局注射を打ってそれを抑えたり、水分を摂っても摂っても唾液が全く出なくて食べることが出来なくなったり、排尿痛がひどすぎて病院に駆け込んだり、胸が苦しくなって息が出来ないようになったり、身体中が痒くてたまらなくてもがきまくったり、…と、妙な状態にたくさんなった。そんな調子なので、ちょっとここには書けないようなことにもいろいろなった。腹痛、頭痛、不眠、過眠、暴飲暴食、などもあった。
3年前の話。

それでも、私は、「死なない」ことを最優先してよかったなと思う。

美味しいものを食べれて幸せ。
会いたい友人に会えて幸せ。
演劇をまたやれて、幸せ。
今は。

どの薬をどれくらい飲んでどんな副作用になったか、あちこちメモ帳やネットやに散らばってはいるけど書いたのが残してあるはずだから、いずれまとめたい。

投薬に入る際、いわゆる「心療内科」「精神科」「メンタルクリニック」は、その薬がどんな依存性を持っていてどんな副作用の可能性があって、効きはじめるのにどれくらい時間がかかって、飲み始めた後どうやってやめたらいいかという点が、ほかのたとえば風邪薬だとか解熱剤だとか胃薬だとかとは全く違うんだ、ってことを、ほぼ、説明しない。
私はたまたま周囲からいろんな話をにわかに聞いていたので、自分でネットや書籍を読み漁った。
でもだから、私は、書き残せる限り書き残していようと思う。
今のネット社会のおかげで、処方された薬がどんな性質のものなのか、予想される副作用や、実際服用した人の体験談や、なんでも読める。正確な情報かどうかの取捨選択は必要だけども、参考にできるものが、できる備えが、いろいろ転がっている。でもそれを知るためには、自分から積極的に、調べ物をしなくてはいけない。そんなことを、お医者は、誰も言ってくれない。そして病院に駆け込むような人間は多くの場合、そんな余力はすでに持ち合わせていない。

「うつ」は、投薬して、減薬して、断薬が完了してはじめて、「治った」と言っていい病だと思う。
断薬が完了するまではやはり、病人なのだ。
だから私は、絶対、完治させたい。
まあ、焦っても逆効果だから、のんびりしたものだけれど。「急がば回れ」という言葉がこんなにぴったりくる状況もなかなかない。

先日、「減薬挑戦第1回のはなし」というタイトルで久々にうつのことをここに書いた
「うつ」のことを書くのは難しい。
私はそんなに知識豊富なわけではないし、私のことをいろんな気持ちで見ている人がいるだろうことも想像すると、なかなか自由には書けない。それでも、文章を公開するかどうかさんざん迷っていつも、さんぶんのいち、くらいの確率で公開している。
先日もそうだったが、それでも、書いてみてよかった。

それは、
「自分もうつで投薬治療をして、無茶な減薬をして苦しんだが、時間をかけて断薬して、今は、まあ元気です」
というおたよりをひとつもらったからだ。
他にもさまざま、メッセージを寄せていただいて、ほんとうに励みになっています。

生きてさえ、いればいい。
まずは。

死なないこと殺さないことが、なにより、なにより、なにより、大事。
生きてたってどうしようもないよ、って思っても。
お願いだから、私なんかがお願いしてもどうしようもないけど、もうちょっとだけ死なないでいてみて。

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iPhoneケースを約2年ぶりに、はじめて変えました。
とりは別で自分でお気に入りをみつけたのを、ぽちっと貼っつけました。
気持ちが明るくほにゃっとなれるものに変えたくなって。変えてよかった。


posted by たなか沙織 at 15:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 病気のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月21日

減薬挑戦第1回のはなし

2週間ほど前からしばらく、1年以上ぶりにがっくり心調を損なって、完全に出来そこない人間と化していた。久々に廃人であった。あらゆる予定をキャンセルさせてもらい、周囲の方々には迷惑と心配をかけまくった。本当に本当にすみませんです、ありがとうございました。
懐の深いひと、心遣いが細やかで器の大きいひと、がまわりに多くて、救われているし泣ける。し、とかく申し訳ない。

2月頭から減薬に入った影響である。
ここ3年投薬治療を続けてきたうつの症状がかなり落ち着いてきて平常通り生活や仕事や人付き合いが出来るようになり、この1年ちょっとはさまざまな山あり谷ありの日々だったがそれでも体調が安定していたのと、稽古の入っていないスケジュールである今が良いタイミングなのではということで、担当医と相談して、ついに減薬をスタートした。

現役で役者をやっている人間が、持病のことをこんなにおおっぴらに書くのはいかがなものだろうか、同情を誘っているように見られてしまうかもしれないよな、という危惧もないではないけれど、こういう人間でも生きている人間がいるのだということや、その過程や日常や変化を出来る限り書き残しておくことで、もしかしたら似たような状況に陥ってしまう人たちの何かしらの参考になったらいいなという気持ちが大きい。
近しい友人・知人でもそうでない人でも、本当に行き詰ってどうしようもなくなることなんて、人間である限り「無い」とは言い切れないのだから、どこにもすがる術もなく話せる相手もなく、という時に、ひょっと覗いたり声をかけてもらえたらいいなと思う。
むろん、自身の備忘録でもある。
そして、多少なりとも元気になっているからこうして書けるのではある。
完治するまでは、それ込みでの私であるので、いや別にだからと言って大きな声でそれをひけらかしたいわけでは決してなく、自分のブログにちまちまと書いている分にはお許しください、読みたい人だけお読みください、という感じです。

第1回目の減薬は、惨敗でした。
抗うつ剤や抗不安剤は、種類によるけどその多くはそんなにすぐに薬効が出ない。影響が出るのに私の場合、早くても1週間〜10日かかるので、減らしたり増やしたりしても同様に変化がみられるまでに時間がかかる。
私の場合、2月にスタートし、第1段階の減薬では特に変化がなく順調で1ヵ月は何事もなく、第2段階の減薬をスタート後3週間して、不調が出た。
不安と恐怖に襲われてまったく身動き取れなくなり、大好きなはずの春の陽気が眩しく痛く、やわらかい風もただただ辛く、世界がおそろしく人がおそろしくて仕方がなくなってしまい、カーテンを閉めきって暗い部屋の中で数日泣いて過ごした。
「もう元気、大丈夫」って思ってたけど結局、薬に支えられてこその自分でしかなく、このまま自分はまた駄目になってしまうのだろうか?と、この3年はなんだったんだろう?と、絶望的な気持ちだった。
けれど逆戻りだけはしたくなくて、この3年支えてくれた人があったからここまでこれたのにそれを無下にはしたくなくて、5日間うずくまったのちようやく、這うようにしてなんとか病院へ行った。
担当医と相談し、減薬は一時ストップして減薬開始前の元の量の薬に戻し、また具合が落ち着いたらタイミングを見計らってリスタートしよう、ということになった。

減薬は大変なものだ、と聞いてはいたけれど、
うん、たいへん。
でも私はたぶん、まだ全然ましなほう。だって体にはまだ影響が出ないから。頭痛とか吐き気とか口渇とか体中が痒いとか不眠とか食欲の増減とか。

今回は中断したけれど、絶対いつかは減薬を達成したい。
こればかりは自分が自分に打ち勝つしかない。


posted by たなか沙織 at 00:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 病気のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月29日

元気だよ、ありがとう

それでもこの1年くらいでようやく、「劇場に行く」と思っても心臓がばくばくしなくなった。電車に予定より早く乗れるようになった。電車をおりても呼吸が苦しくなることもなくなった。足を運べなくなったのは4年前だから、4年かかったのか。こんなことに4年。4年。4年。4年…!

でも大丈夫になってきた。
稽古場にもお邪魔出来るようになってきたし、必要があればお手伝いにも伺えるようになった。
もうダメだろうなと思ってたことも、こうして少しずつ、手元に戻ってくるのかもしれません。
そして戻ってこないものも、もちろん、ある。

スイッチ入らないと人に会えないし外に出れないので、外に出てるときはだいたい元気。ってゆうか、身体はね、風邪もひかず、健康そのものです。
でも最近は例えば半年前に比べても、自分で入れるそのスイッチに手が届きやすくなった感じ。高いヒールの靴を手に入れた感じ。
心配してくださってる方がいてくださるようで、ごめんなさい、ありがとう。
でも元気だよ、ちょっと元気になったからこうして書けてる。

人に会えば嬉しいし楽しいし出掛けてよかったなあって心の底から思う。

顔中に出来てた吹き出物もかさぶたもずいぶん良くなったし、頭痛もあんまりしない。ちょっとずつね、快方に向かってるんだと思います。たくさんの人のおかげで。お酒や美味しいごはんや音楽や映画や小説や漫画や、演劇のおかげで。

最後の一歩、それだけは自分がえいやと踏み出さなきゃいけない、それはよく、わかってる。
どこに、いつ、踏み出すかが、問題です。


posted by たなか沙織 at 01:19 | Comment(0) | 病気のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月18日

読んでくれてありがとうです

昨日の記事を読んでくださった方、メールをくれた友達、ありがとうです。
ただ私の現状を書いただけだけど、それをずばりすらりと書けるようになるまでに、ずいぶん時間がかかりました。
これはまあ自惚れですが、なんで時間がかかったかと言うと、私が病気になったことを「自分のせいかもしれない」と責めるかもしれない人がいたら嫌だと思っていたから。
「演劇のせいで病気になったのだ」と思われるのが嫌だと思っていたから。
…と書きつつも、今になって言葉にしたからと言って、勘ぐる方はどこまでも勘ぐるだろうし、それは人のさがでもあり当然のことだと思います。

ただ、こんな私が言うのもなんですけど、
演劇はやっぱり素晴らしいです。
人間を考える上で。
感情ってものを考える上で。
生きることを考える上で。
死ぬことを考える上で。
人と人ってものを考える上で。

私を鬱という病気に落ち着かせたのは、他ならぬ私自身だと思っています。
別に美談にしたいわけでもなんでもなく。
私の性格が私自身を追い込んだ、ただそれだけのことです。
私はこれはもう最近は周りからもさんざん言われるようになったし自分でも昔から自覚してはおるのですが、どうにも周りで起きる出来事や自分の前で繰り広げられる会話に共鳴してしまうことが、人より少しばかし多いようで、まあ簡単に言えば過敏なんですね、「別にそれお前が気にしなくていーよ」ってことまで「私が○○さえ出来ていれば…」とか考えちゃう。
でもって、溜まったストレスをストレスだって認識するのに時間がかかる。
その上、3月生まれだからですかね、よく早産まれは負けず嫌いが多いなんて言われるけど、強がりなんですよ、ナメられたくないし負けたくないら「まだまだ大丈夫だもん、私」「なんでもこいこい」ってなっちゃう。
そして吐き出すのも不器用。自分の発した言葉で、行動で、回り回って傷つく人がいないかどうか、もうありとあらゆるパターンを想定する。出来る限り。で、結果、結局なかなか喋れる相手もなければ、その前にうまく自分の感情を言葉にすることが出来ない性質なので、そこにもひとつハードルがある。
語弊がないよう伝わればいいなと思いつつ書いてみるんですが、「もうちょっとばか(鈍感)だったら楽だったかもしれんのにねー」と自分に苦笑いします、心の中でよく。

環境的・状況的に、影響したものはもちろん自分の本来持っていた性格だけではないですが、それでもやっぱり、打開できる術はいくらでもあったはずだよ、と、周囲の知人・友人・先輩方を見ていて思います。

さっき私は、自分が鬱になったことを「私を鬱という病気に落ち着かせた」と書きましたが、これもちょっと思うところがあります。
私は、少なくとも私は、という話ですが、「鬱ですよ」=「病気ですよ」と確定されたことで、いくらか楽になったんです。
「鬱ですよ」とお医者に言われるまでの私は、どんどんやる気が起きなくなって、日々の家事もままならず、約束の時間に待ち合わせ出来なくなり、人付き合いに億劫になり、仕事も出来なくなり、外に出掛けることすら出来なくなり…という自分に、「まあ燃え尽き症候群だな」→「過度の怠け者なのかもしれない」と、結構な自己嫌悪の中に居ました。
「病気だって診断が下ればどんなに楽だろう」「薬で良くなるかもしれないならどんなに楽だろう」ってずっと思ってきた。私が鬱的症状に最初に見舞われたのは2005年のことなので、それから6年間くらいはずっとそんな風に思っていました。当時はまともにお医者に通う余裕すらなく多忙に駆けずり回っていたので、今となってはそれが鬱だったのか「鬱的症状」だったのかは不明なままですが。
それでもその頃はそれでよかったんだと思います。
寝不足で、しかしそれでも減らないタスクの山を前に、PCに向かって泣き喚きながら仕事したりもしてたけど、それでも充実してた。やりたいこと、私にしかやれないことが目の前にあった。

ゆくゆくは、服用してきた薬の詳細とか期間とか、それによって出た副作用とかも、記録がある限り残しておこうと思います。そういう実情報が、実際いま病にかかっている方には最も必要な情報だと思うので。私もネットであれこれ検索して随分助けられました。

鬱患者が年々増えているとは言え、まだまだ認知度の低い、内容の知られてない「鬱」という病気ですが、私は私の経験の上で書ける限り書いていこうと思います。私は田舎生まれなので、田舎にいけばいくほど、高齢の方になればなるほど、やはり認知されていないしそれが「怠け」じゃなくて「病気」なんだってことは難しい説明だというのは身をもって知っています。
書きながら勉強もしたいので、ここで書くことが誰かの何かの力になれば・材料になれば、少しは私が生きてる意味にもなりそうです。

なんてことも思ってますが、ゆるっとやっていきます。
ふー、今日も恐る恐る更新してみる次第です。


posted by たなか沙織 at 17:48 | Comment(2) | 病気のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月17日

最近の体調

なんというかまあ、新年になろうが変わらないものは変わらないままで、私は相変わらず浮いたり沈んだりしております。

昨日はにこにこ焼肉食べてたのに、おい今日はどうした布団から24時間一歩も動けないのかよ、みたいな、一緒に生活している旦那なんかからしてみたら取扱い困難な難儀なやつ極まりないだろうと思います。そうして旦那なんかにはさんざん心配と迷惑をかけているし、それを解った上でもそんな自分に一番厄介しているのは自分だったりします。

もう、正直、わけがわからんのです。
明確に理由があって、気分ががくんと落ち込む日もあります。
きっかけはどうでもいいような非常に些末なことであることが大半です。
ネット上の誰かの一言がひっかかったり、TwitterやらFacebookやらでの誰かと誰かのやりとりがひっかかったり、日常耳にしたなんでもないような独り言や声色が気にかかったり。
でも明確に理由もなく、昨日なんかは本当にまる24時間、毛布の中でうずくまったまま、寝がえりをうつのがやっとで、トイレにも行けず薬を取りにも行けずごはんももちろん食べられず、みたいな酷い一日を過ごしたりしていました。理由なくうずくまるのは、ずいぶん久しぶりのことでした。
夜中、稽古を終えてへとへとになって帰宅した旦那がお風呂からあがってきたのを見計らってなんとか必死で声をかけ、薬と水を持って来てもらい、ようやく動き出すことが出来た、それまではただただ時計の秒針の音を聞き、和室に置いたロフトベッドからすぐ目前に見える木目の天井を、じいっと眺めては唸っている、そんな日でした。

心療内科に通い始めて1年と2ヶ月経ちました。
最近になってようやく、自立支援の申請を出しました。

病院に通って薬を服用しているということは上記のような、わけのわからん状態であるということだし、まあ鬱というのはそういう病気なんでしょうけれど、自分で制御できないものには抗うこともそこから逃げることも出来ないわけで、進んでいるのか退行してるのか停滞してるのか、それすらわからない状態、変わり映えのしない自分、なにも整理できていないままの感情、そういうものに飲み込まれてもう全部投げ捨ててしまいたくなることがあるのも事実です。

いつか私は「まともな自分」に戻ることができるんだろうか。
私のいう「まともな自分」というのは、「自分で自我が制御できる自分」という意味です。
正直、不安です。
不安だけれど。

芸道に励む夫は、外に一歩出れば毎日戦争、家に帰って来ても事務処理に今後の課題に今日のおさらいに明日の準備にと、それだけで手一杯であろうのに、それでも私がもがき苦しんでいる時には、出来る限りを尽くして私と精一杯向き合おうとしてくれます。経験も知識も総動員して、かつ対等であろうとして話を聞き、意見してくれます。

彼の芸道を思えば、私など一番、邪険に扱われるべき人間なのです。
彼の家庭への心配事が減れば減るだけ、彼の芸道へ捧げられる時間は、脳は、心は、どんどん拡がるでしょうから。
そう思って、私に出来るのは、毎日お弁当を作ったり、必要な時にコーヒーをいれたり、部屋を整えておいたり、灰皿の灰を捨てておいたり、洗濯や掃除をしたりと、それくらいのことですが、それくらいのことすら出来ない日もある今、私はこれらの簡単なことにすら、「努力」をしなければいけません。

私は今、創作を、生産をする彼の横で、何も産み出せないでいます。
それはとても苦しいことだし、嫉妬もするし、羨ましくも思います。
けれど彼が、どんな苦悩の中にいるか、どれだけのものに追われているか、ひっきりなしにメールが来る日々が永遠に続くことがどれだけ苦しいものか、それも承知しているのです。
それでも羨ましく思います。
「本当に羨ましいと思うなら、厄介なこと面倒なこと全部引き受けて、それでもやれるはずだ」
と言われました。
その通りだと思います。

私はまだまだ弱く、自我を制御出来ず、忍耐弱く、くじけたままなのです。
だから苛々し、自分が恨めしいのです。
くじけた足で、もう一度歩きだすためには、どうすればいい?

もどかしくも、でも日々出来ることは限られており、焦ることは禁物、とにかく地道に高望みせず毎日のちいさな喜びやあたたかさに気付き感じ有り難く思うことから始めるしかないのでしょう。
けれど焦るのです。悔しいのです。恨めしいのです。


これまでで一番あからさまに書いた日記かもしれません。
恐る恐る、公開してみます。


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母がなんだかの抽選で当てたという無印良品のアロマディフューザー、実家では不人気だったということで私が貰い受けました。精油の力を最近少し、借りてみようと思っています。
ものは試し、いいと言われるものはなんでも試してみるが宜しかろうと思う、だってそれでちょっとでも元気になれたら儲けもんじゃないか。


posted by たなか沙織 at 12:44 | Comment(4) | 病気のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

自分で自分に暗示をかける最近

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写真は去年5月に描いたベニヤ大の絵の一部。

体調がめまぐるしく変化し続けていてうんざりしている。もの忘れも激しい。
死にたくないのに自分の身体から逃げたくなる。
そのくらいには参っているが、逃げるわけにはいかないので、この先に見たい辿り着きたい未来があるので、歯を喰い縛ってじっとする。せめて回りの人々に迷惑をかけないように。

そんなわけでブログなかなか書けてませんが、のんびりまた覗いてください。

何かしていないと落ち着きがなくて、ひたすら引っ越しの準備をしている。


posted by たなか沙織 at 16:58 | Comment(0) | 病気のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

このところの私 その1

私はいま、心療内科に通っています。
昨年(2010年)11月からのことです。

体調が思うように芳しくなかったのは大学4年の頃からで、思い返せば約4年越しに、現在きちんと病院に通院していることになります。

4年間のうちに3カ所のいわゆる「心療内科」や「精神科」を訪ねましたが、ろくに患者の体調も聞かずに「まあ、うつ的なものでしょう」と言い、患者と目を合わせることもろくにせず(これがいちばんむかつく)、PCの画面に向かってぱぱっと薬を処方する医師たちをどうにも私は信頼することが出来ず(よく言われる「3分診療」というものですね)、1度きり病院へ行っては、その日処方された薬を飲み、自己暗示で「これでよくなるはず」と言い聞かせるようにして事を終える、ということを1年に1回のペースで繰り返していました。近親者から、「そんなのは気の持ちようだから、一度ゆっくり休みなさいよ」と言われたのもきつかった。今思い返せば、なんでもない、なんでもない言葉だ。
「気の持ちよう」
「リフレッシュ」
「民間療法」云々、
試せるものは知る限り試した。
しかし当時、目の前には減った倍ふえる膨大な仕事があり、体調を崩しているわけにはいかなかった。ゆっくり眠り続けるわけにもいかなかった。
そんな中で、新しい病院を訪れるということを私の場合は3回、決死の思いでインターネットで検索しては足を運んできました。
「病院を探す」という行為すら、
PCの電源をつけ、病院の評判を検索したりして、電話で予約をとる。という行為すら、
「それだけの」と言えるような行動が、本当に辛い。数メートル手を伸ばせば付けられるPCの電源を、どうやってもつけられない。布団から出られない。携帯電話をみることもしたくない。自分が自分を生かす気持ちがとっくに失せているからだ。
病院を訪れるその1回1回は、猫の手でも借りたい・藁にもすがる思い、という表現がぴったりくるような、必死のものでした。必死に電車に乗り、病院へ行き、
そして、
がっくりして帰る。

うつ病とはいったいなんなのか、私には未だよくわかっていません。
人それぞれに症状があることを様々な文献、インターネット上の文章や経験談を参考に知りましたが、つまるところ自分が「これはうつなんじゃないか?」と思い専門の医師にかかったらほぼ間違いなく「あなたはうつです」という診断が下るように思うのです。

いい加減な医者は多い。
現代、少なくとも東京で「心療内科」「精神科」の看板を掲げれば、ほぼ食いっぱぐれることはないんじゃないか。患者はなにもしなくてもやってくる。

私はお医者だってサービス業の側面を持っていると思う(心療内科・精神科に関わらず)。
受付の応対、待合室の雰囲気、先生の言動や人柄。良い病院にあたるとそれだけで、「ああ元気になろう」と思えたりするものだ。

そうだ、唯一、誤解なきよう述べておきたいのは、「うつ病」は「たしかに病気である」ということです。
それは間違いないのです。
本人がどんなに「こう在りたい自分」の理想を抱いても、「生きていたい」と思いたくても、それが実現出来ない。

だって脳から分泌される物質が、科学的に医学的に、足りてないのでしょう?
原因は様々あれど、人がにこりと笑って軽快に歩くために必要な脳内物質がなにかしら欠乏されているから、思い通りにいかないのでしょう?

その証拠に、私は現在、薬の処方が変わる度に明らかに体調を変えている。
快方に向かうばかりではないが、3歩進んで2歩下がるように、少しずつ回復しているように思える。
気持ちは前向きで楽な方向へ向かっている。こうして文章だって書ける。

「そんなの甘えだ」「気の持ちようだ」「あなたはネガティブ思考なのね」
と、うつ病の場合、誰より当人自身がそう思いがちだ。
でもきっと、そんなことではないのだ。
当人は必死で、自己嫌悪し、それでも自身を鼓舞させようとし、しかしうまく行かずポンコツな自らと対峙している。
ああ一銭も働けずそれでも腹は減り排泄はし汗はかくのだから身体は痒くなり頭皮だって痒くて痒くて我慢ならず風呂に入らねばならない。歯磨きをせねば口内が気持ちわるい。
けれど人に会いたくない、布団から出られない、朝が来るのが恐ろしい、
自分には、
なにも、
できない。
そんなどうしようもない日々を自らの手で絶ちたいと思い、それでもそれも成すこと出来ず、かちかちと進む秒針を眺めては、ああ自分はなんのために一体生きているのだろう、生きていなければいけない理由は何もないのではないか、自分などただの穀潰しで、不要な人間に違いない、と。

なんて書くと自殺を推奨しているようにも聞こえるが、そんなことは断じてない。
東京がダメなら他の県に身一つで行ってもいい。
日本じゃなくて海外でもいい。
やり直すことは、どうにかして何か方法が絶対に「絶対に」あるはずだから。

数ヶ月前、大好きな大学時代の後輩が、自殺によりこの世を去った。
卒業以来連絡をとりあうことはなかったけれど、私には大好きな大切な後輩だった。
なんでもいいから会う口実があればよかったのに。
神様はなんていじわるなんだろう。
楽になったかい?
今もどこかにいるのかい?



…ところで、私が書くこれらの文章はすべて経験談であるので、不適切だったりおこがましい表現があるかもしれないが許してください。けれどこうして経験談を公開することで、似た症状を持つ人の何かしらの参考になれば、と思うのです。

さて、私の場合の要因は、「過敏すぎる感性」「周りにどう思われているか常に気になって仕方がない」という、自身の性質に起因した部分が大きい。と自己分析する。
普段それらは人としてはメリットであろう性質なのだが、一歩踏み外すととんでも無い「ストレスを抱える原因」になる。
大勢の前に代表として立つということ、睡眠時間が十分に取れない生活、にも関わらず十分に得られるわけではない収入。私がいくら働こうとその実情を誰とも共有出来ない孤独感。定収入のあるサラリーマン的固定職に就いていないことから来る親への後ろめたさ、伴って親からやってくる電話「お金大丈夫なの?演劇じゃなきゃだめなの?鳥取にとにかく帰ってきてみないな」。

ああ、細かいことは忘れてしまった。
思い出すことから書いていく。


posted by たなか沙織 at 15:39 | Comment(0) | 病気のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする