いつかの冬の日記
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バス停に座って正月ダイヤのバスを1人待ちながら、ぽかぽかとした日差しにあたってぼんやりしている。こんな穏やかな心持ちの日が来るようになるとはすっかり思ってなかったし、今もあまり信じれてないかもしれない。疑わしい。「ごめん配送先間違えたわ」って神様が取り上げにくるかもしれないな、とか、この疑り深い性格のせいで、思う。
人はそんなすぐには変われない、それはほんとうにきっとそう。時間に身を委ねながら、生活からなにかを引いたり足したりして、それをあたかも無意識にやってるみたいに自分を騙して少しずつ慣れていけばいいのかな。そんな風にできればまだよくて、時にはスパッと捨てたり捨てられたりもする。スパッと捨てたり捨てられた時は結構しんどくて、胸がぎゅうぎゅう軋むし、その軋みから毎日涙がこぼれたりする。溢れるものを補うようにお酒を飲むこともあるし、溢れないように人と会ってたくさん言葉を吐いたりする。そういう時は無理矢理変わらなきゃいけなくって、でもそれが難しいのでやっぱり酒を飲んだり人と会ったり、あと逆に会わないで引きこもったりする。
殴られる方も殴る方も、やっぱり、痛い。
でもなにはともあれ、目の前にあるこのぽかぽかした日差しとか、小さくにじむエアコンの室外機の音とか、形容しがたいツンとした冬のにおいとか、それらのことをちゃんと覚えておきたいと思う。変わったり変わらなかったりしながら。そうして毎日、美味しいお味噌汁飲んでいたい。できれば花を愛でたりもしたい。
私はきっと今ようやく、いろんなことがちょうどよい均衡で、ずうっとこの海の上をただぷかぷかとひとり仰向けに漂っていれそう。あったかい。気持ちいい。だけど、どこかの島に向かってみてもいいんじゃないのと胸がうずき始めた気もする。嵐に遭うかもしれないし海賊に襲われるかもしれないけど。
まあとにかく自分の体と心に素直でいたい。どんなことと引き換えにでも、行きたい場所に行くし、守りたいものを守れる自分でありたい。
この時はそうだったんだなあとか、へぇ、とか、なりました。
おしまい