
また書くと書いたので公演終了してしまったが書くアマヤドリ『銀髪』@本多劇場を観ての雑感。Twitterに書くにはあまりに長くなるのでこっちに書くことにした。久々のブログ更新がこれって!だし、元はTwitterに書こうと思って書き出したものなので、読みにくいかもだけどお許しください。
再々演にあたる今回私は10年前の再演ぶりに観劇したが、再演当時物足りなく感じたのは作品全体・一丸となって押し寄せるべきエネルギーの不足と脚本テキストの洗練されてなさだった。広田さんがもっと刺さる言葉を書いて演るのを期待していた自分には不満だった。
「ラーメン屋のバイト仲間で起業したパニックを売り物にするベンチャー企業が、やがて国民的支持を得て巨大企業へとのし上がって行く」という巻き込み系の物語のエネルギーの渦巻くさまをもっと、もっともっと、目の前で生の人間が起こす熱量として感じたかったし、そのエネルギーのうねりに巻き込まれず凛と立つ、広田淳一の、時に詩的でコミカルで哲学的な拡がりをも見せるテキストの世界を同時に感じたかった。
10年を経て、再々演の今回を観劇した。
かなり期待していたのでコンディションとして万全の状態で観劇に行ったこと、そして、私自身役者を生業にしている身だけれど今はそれを棚上げにして一観客としてこの文章を書くということを、先に、かっこ悪いけど前置きしておく。役者のことについても触れるので、「偉そうに言ってるけどてめぇはそれ出来んのかよ」と思われることろがあって仕方ない。しかしその側面ありきでは何もストレートに書けなくなるので無視して、そのあたりは恐れずに書く。
結論、私には突き刺さるものが何もなかった。
エネルギーは本多劇場の舞台上だけで風となって消えてしまい客席の側へ押し寄せてくる体感がなかった。スノウドームの中でたまにひゅうと風が吹く線が見える、ガラスの向こうの世界のようだった。どきどきした瞬間もあった。でもそのどきどきはどこにも到達しないまま、テンポの悪さや熱量の足らなさでふんわりと溶け消えてしまった。それじゃだめだ。この作品はそれじゃだめだと私は思う。
そして何より、単純に台詞が聞き取れない箇所が多々あった。開演早々、「ああこれは台詞を聞き取ることに集中しなければ」と思った。その分ほかの集中力を割く分けだから、これは悲しい。役者によって、そしてシーンによっては聞き取りやすいところもあった。けれど9割、「聞くことを頑張ってようやく聞こえる」台詞だった。
エネルギーと台詞の問題は、席によるところもあるのかもしれない。私はH列での観劇だった。けれど本多劇場ではH列より前に7列、後ろに8列ある。
それじゃだめだ。それじゃ本多劇場でやるにはだめだと私は思う。
これらエネルギーと台詞の問題が総じて、「箇条書きとしての“出来事”の進行はわかる」「広田淳一の描き出す仮想世界の“状況”は伝わる」/「しかしそこに“生きた人間”が立っていない」という感触がした。
台詞の問題と近いが全く別の事項として、役者が発する以前のテキストの問題もそこにはあると思う。出来事を実況するためのテキストの分量が多いように感じた。それはそれで必要。絶対必要。でも生きている人間の感情や思惑が見え隠れする言葉や、広田さん独特の急に脳内思考を宇宙規模にふっ飛ばされるような言い回しが、もっと聞きたかった。
私は、そこで生きる人間の在り様が見たい。
そこに在る世界の状況を見たいわけじゃない。
そして広田さんには宇宙に連れてって欲しい。
だからね、期待の心は不完全燃焼だったし、不満でした。
でもそれは、私が見たいものとアマヤドリがやろうとしているものがそもそも違うのかもしれない。つまり好みの問題かもしれない。
物語終盤の、社運を賭けた一大イベント「ノストラドン」は、演劇としての盛り上がりに欠けた。「え?どこが山頂?」みたいな感じだった。そして多くの人物が錯綜する中、個々の思惑やそれの落ちどころが曖昧だった。「ノストラドン」自体もいったいどうやって収束した出来事なのか、あのナレーションではいまいちわからなかった。
ラストのダンスは美しかった。見惚れた。けれどそれが物語にとってどういう効果をもたらすのか私には繋がるところがなかった。
役者それぞれの奮闘も美しかった。みんな抱きしめてまわりたいくらいだった。けれどあの劇場空間でやる上での課題は確実にあって、それは板には上がっていない人間にしか見て取れない部分もきっとある。
涙しそうになるシーンもあった。でも、でもじゃあそのシーンが作品全体にどう影響しているのか、それが問題だと思う。
「劇団としてこれからもやっていくのだ」という意思がそこかしこから感じられたのも嬉しかった。配役や、広報面への劇団員の関わり方や。私は劇団という単位で継続的に演劇をつくることをとても素晴らしいと思うし、その広田さんの考えには物凄く共感するところが多い。→このあたりの記事〔http://shibainomachi.com/2017/01/29/0202/〕
劇団が一丸となって公演を盛り立てようとしている、本番よりずっと前から行われていた、各種チケットの設定や、下北沢練り歩きなど、様々な取り組みも本当に素晴らしいと思った。
雑感という名のもとに思いつくまま全く丁寧じゃなく書いたけれど、私はそんな感じでした。
広田さんがいつかまたこの脳みそを宇宙に連れてってくれないかな、と私は勝手にずっと思っちゃうんだと思う。そういう体験をさせてもらったことが過去にあるから。劇場に座っているその現在地を見失うような体験をまたしたい。好きだからこんなにも、書かないでいられないんだ
アマヤドリ『銀髪』→http://amayadori.co.jp/archives/8910
アマヤドリ『銀髪」感想まとめ→http://amayadori.co.jp/archives/8910