フルタイムでサラリーな仕事をしてるわけじゃないから、意識しないと、まるまるの休日、なんて日はなかなか作らない。作らないでも遊びと仕事がまぜこぜになってる日々を過ごしてるから、たいがい、元気ではある。
それでもたまに、なんの予定もない日が欲しいなと思う。
起きてホットケーキとコーヒーを朝食にして、
たまった洗濯物を何度かにわけて回して干して畳んで、を繰り返しながら、
実家から送ってもらった大きな段ボールの中身を、小さな家のあちこちになんとか収納して箱をつぶし、
先日の旅の荷物を片付け、
お米を炊飯器にしかけて、
自転車に空気を入れ、ペダルをこいで出かけた。
自転車に乗るのが一番、「ああ休日だなあ」と感じる。
電車に乗る気分ではないし、けれど必要な買い物を済ませたり散歩ぐらいはしたいし、という感じなので、自転車 ってのが一番気持ちいい。
まあ私、中1になるまで、自転車乗れなかったんだけど。
今は大好き。
ツリメラのライブで汗だくになったスーツをクリーニングに出し、
知らないうちにカビがぷつぷつと生え始めてた布製のかばんのカビを落とすためのベンジンと紫色のリステリンを薬局で買い、
立ち寄ったスーパーの寝具売り場ですっごく安くなってたシーツを1枚と、
ずっと探してたのになかなか見つからないでいた、バスマットサイズのタオル(これもすっごく安くなってた)とを買い、
帰宅して、
久々の炊きたてごはんと、ほうれん草のお味噌汁と、鯖の味噌煮と納豆、を食べながら、
ハイボールを飲み、
ながら、
これを書いてる。
洗濯機の中ではさっき買ってきたシーツがぐるぐる回ってる。
目が悪くなった。
コンタクトもつけず眼鏡もかけず出かけたら、スーパーであまりに何も見えなくて、くらくらした。
今の家にはテレビがないので、PCの画面でアメリカのドラマを何回もDVDで観てたりする。
本を読む時以外の、一人の無音が、苦手だ。
そんなわけでああ家でPCのキーボード叩いてブログ書くことから遠ざかっているのかも、と思ったんだけど、ちょっとあれこれして、iPhoneから長文が打ちやすいように、した。
のでこれは、iPhoneから打ってる。
ガラケーに比べたらずいぶん、携帯から長文打つのが嫌じゃなくなったけど、でもやっぱりPCのキーボード叩くほうが好きだ。
それでもだからってブログ更新しなくなるのとか、きちんと文章書くのとか、から遠ざかるのは嫌なので、試行錯誤。
書けることも書けないこともあるし、
書くことで語弊を生むことも多々あるけれども、
それでも書き残しておかなきゃ、おきたい、と思う。
そんなわけでこうして、たらたら、書いてる。
ため息。
の、出ることばかりだ。
でもそんな時、一人でも、「はあーあ!」って言う。
痛い?痛いかも。笑
そのあとで「くだらん!」って自分に言う。
そんなことでくさくさしてる自分、くだらん。
だいたいくだらん。
「いただきます」って、一人でも言って食べるとなんだか、いい。
ってのは、最近した発見。
それを先日、鳥取の実家に帰った時に母に話したら「私も一人でごはん食べることが多いから、そうしてる」って言われて、笑った。
ちなみに母は、私が髪を短くしたのと同じ頃に自分も髪を短くしたのだと驚いていた。
しかも私が最近使い出したのと同じヘアスプレーが大量に置いてあって、「いいと思って多めに買っておいたのに、歳とったら質のいいスプレー使わないと髪が痛むって美容師さんに言われて、これもう使えないの」と言っていた。
そのヘアスプレーも、段ボールに詰めて送って譲ってもらった。
いろいろあるけど、なんとか、元気です。
たぶん。
お湯ためて入浴剤入れてゆっくりお風呂入る。
そしたらまた、ぐいぐい、生きます。
人生のうち、心から「満たされているなあ」と感じ入ることが出来る時なんて、あと何回あるだろう。
でも絶対に、ある。
し、作ってく、自分で。
いただくことの多いこの頃。
いただいたもの以上の何かを、お返し出来るように。
どうか、私の未来に幸あれ。
あなたの未来に幸あれ。
読んでいただけて、そしてこうしてお伝えいただいて、嬉しいです。
書くのやめよっかな、って思う時もいっぱいあるのですが、なんだか、勝手に、書いてもいいんだな、と思わせてもらったような気がします。
上手く言葉にできませんが、"生きてる"んだなぁって、思いました。
沙織さんがこの世界に存在していらっしゃるので当たり前ですが、なんだかそう思いました。不快な思いをさせてしまっていたら、すみません。
(どうでも良いほど私事ですが…)現在休職中で毎日休日の状態でも、沙織さんや周りのきらきらしてる人たちみたいに、"生きたい"なって、思います。
せいかつ、してるなあ
って、私も書き上がって読んで思いました。
私も休職してたり、演劇からがっつり離れてたりして、この先どうなるかほんとわかんない、って時間も長かったですが、そしてその頃はどう時間をやり過ごしたらいいのか苦痛でしかなかったりもしましたが、やり過ごしてでも何やってでも、生きてさえいれば今よりちょっとくらいいい時ってのがたぶん誰にでも来るんじゃないかって今は思います。
毎日休日だなんて休職貴族だわ!と、何かに後ろめたさとか感じるよりもっと楽しめばよかったのに私!と、今になっては思います。でもこれ、今になったから、思えるんですけどね、きっと。
でもきっと今の自分に必要なことしか、目の前にはやってこない、って。いいことも悪いことも。私は信じてます。